宇良田タダ顕彰碑
【コメント】
明治時代、単身ドイツへ留学し、日本人女性として初めてドイツの医学博士(ドクトル・メディツィーネ)の学位を取得した 天草市牛深町出身の宇良田タダ(うらたただ)(1873〜1936)女史の顕彰碑。袴姿のタダをイメージしたシルエット。
18、19歳の時、牛深の豪商の若旦那と縁談が持ち上がったが、
「私は花婿さんが嫌いで出奔するのではありません。よそに出て、もっともっと勉強したいのです」と勉学の道へ進みました。
熊本薬学校で学び、薬剤師になり、熊本市内で漢方医の父と薬局を開業。その後、もっと学びたいと上京し、医師となりました。
伝染病研究所(後の北里研究所)にて、北里柴三郎に学び、牛深に戻り開院。牛深に多かった眼病の研究したタダは沢山の人々を助けました。
もっと研究を深めたいとドイツ留学のため牛深から再び上京し、英語とドイツ語を独学で勉強。
ドイツのマールブルク大学へ留学し、「クレーデ点眼液の効果に関する実験的研究」で、タダは医学博士(ドクトル・メディツィーネ)の学位を取得。
タダがドイツから帰国の際、牛深の人たちは船団で出迎えたと言われています。
その後再び上京したタダは北里柴三郎先生の助言で結婚し、夫婦で中国の天津へ行き同仁病院を創設。
貧しい人には、お金を枕元に置いたこともあったと言われていて、生涯を医療に捧げた人物です。
北里研究所の同窓には野口英世や志賀潔もいました。
唯の父、玄影は大銀主の7代目で、長崎で坂本龍馬に学び、自由民権運動の活動家として西郷隆盛や大久保利通など薩摩藩士と知交があったとされる人物。タダへの影響は大きかったと思われます。